2009年8月16日日曜日
ニューヨークの広島・長崎追悼セレモニー
8月5日、今年もまたここニューヨークより広島・長崎原爆投下祈念セレモニーがNY仏教会にて行われました。
NY仏教会で行われるようになって15周年、共催のUniversal Peace Dayは25周年を迎えるという今年は原爆投下64周年目を迎えました。
広島原爆投下時間に合わせて、8月5日午後7時15分に集まった約100人が黙祷を捧げました。"No More Hiroshimas and Nagasakis"を掲げたバナーが広島で被爆し海を渡ってきた親鸞聖人の像の前に置かれました。
セレモニーの後はキャンドルを灯し、サイレントウォークでThe Church of St. Paul & St. Andrewまで歩き、その後はキリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教のリーダーたちとミュージシャン、被爆者、子供たちの朗読と歌などのコンサートが行われました。
この様子は日本へもニュースで流れました。http://www.youtube.com/watch?v=e5MfQBZtBpg
オバマ大統領のプラハ宣言から盛り上がっている核不拡散運動は、特に日本から大変期待されています。秋葉忠利広島市長は「オバマジョリティー」という言葉を使い、平和宣言の最後を「Together, we can abolish nuclear weapons.(力を合わせれば核兵器は廃絶できます)Yes, we can!」と締めくくりました。
しかし、まず日本国内の「核の傘」問題を解決しなければならないでしょう。その中で、核兵器について広島市民、長崎市民だけでなく、もっと多くの日本の市民にも意識を持たせた事は一歩前進したと言って良いかもしれません。
更なる「人事(他人事)」意識からの脱出。
それが日本が世界に進んでいく為の何より大きな課題なのではないでしょうか。
2009年7月27日月曜日
Peace Porter Project
保田麻友さんは大学生時代から生まれ育った広島で、灯篭流しのボランティアを行っています。ご本人の了解を得ましたので、今年の活動の様子を彼女のブログ日記より転写します。
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今年はあいにくの雨の中、Peace Porter Projectの活動が無事終了致しました。
■Peace Porter Projectとは・・・
8月6日に元安川で行われているとうろう流しの附属団体で、被爆者の高齢化により流しに行きたくても流せない方のもとへボランティアスタッフが訪問し、とうろうをお預かりし当日に代わりに流す活動内容です。
とうろうを書いていただく際に、被爆体験などを聞かせていただくことも活動の1つです。
▽
今年はまた大阪から来てくれた学生さんや、初参加で小さなお子さまを連れてきてくれた若いママや色々…参加していただいた方や残念ながら参加できなかった皆さんに、御礼申し上げます。
今年も午前、午後の2施設で江波と舟入の施設を訪問しました。
ボランティアスタッフの皆さんの積極的な活動に安心してお任せできたので、私自身も1人の方の被爆体験を聞かせていただくことが出来ました。
当時、ヒロシマの市内中心部で電話通信局のお仕事をされていたそうで、わずかお隣にいたお友達は顎から首にかけて大火傷を負いましたが、その方は何とも無事で特に怪我などはなかったみたいでした。その例は初めて聞いたので私もとても驚きました。
ご家族(叔父)も宇品に住んでいて特に酷い被害が無かったそうで、町から宇品まで歩いて帰り、高台から見渡すとポツリポツリと建物が残って見えたそうです。他にも朝鮮に行っていた弟さんの話などを聞かせていただきました。
途切れ途切れの記憶で申し訳ないと言われていましたが、私たちからしてみれば途切れ途切れでも当時を知る貴重な時間、
改めてこの活動の意義を確かめられました。
原爆投下後、岩国からヒロシマまで歩いて帰ってきたご家族を亡くされた方のお話など午後からの方にも少しだけお話を聞くことが出来ました。
皆が印象強かったという方の「自分だけが生き残ってごめんなさい」と繰り返す言葉は私も涙が出そうでした。深くお話を聞くことは躊躇してしまいましたが、その方の灯篭には当時の学校の皆に宛てた文章で『自分だけが集合を守らず生き残ってごめんなさい』ということを書かれていました。
後悔もあるからこそ供養するのではないかと、当時のことが分からない私ですがそう考えます。だから今年そういった灯篭を流すことのお手伝いをさせていただけて良かったのかもしれません。
▽
体験談はまとめることが難しいほどの僅かな時間でのわずかな内容です。でもこの活動に参加してくださったスタッフの方がその時に感じた何かを自分なりの方法で後世に伝えていっていただければ、と思いました。
皆さんにもボランティア活動の最後に灯篭を書いてもらいましたが、その時の皆さんの真剣な表情はきっとこの活動を通して何かを感じていただけたのではないかと勝手ながらそう感じられて今年も嬉しく思いました。
今年はゆっくりと皆さんに今までとこれからのこの団体の想いを伝えさえていただけて良かったです。
本当にありがとうございました。
8月6日にまた数名の方とお会いできることを楽しみにしています。
www.hiroshima86.com
2009年7月18日土曜日
杉並光友会 映画『千羽鶴』上映会のお知らせ
映画『千羽鶴』(1958年・監督:木村荘十二)の上映会と音楽劇『貞子と千羽鶴』の公演が8月15日(土)に杉並光友会と杉並区の共催で行われます。終戦記念日のこの日に、家族で戦争とは、家族とは、命の尊さを考える機会にしては如何でしょうか。
映画「千羽鶴」は、実際の建設運動の最中に撮影されました。ロケーションはモデルとなった佐々木禎子さんの実際の家(床屋)や通学した学校、そして入院した病院などで行われ、劇映画でありながら“時代の記録性”といった視点からも大変貴重な作品です。とりわけ貴重なのは、原爆の子の像の実際の除幕式(1958)がエンディングとなっていること。
原爆症で亡くなる少女を描いたにもかかわらずこの映画がさわやかなのは、戦争の傷跡から手をたずさえて生きようとする子どもたちのまぶしいばかりに健康な姿と、その子どもたちを支える教師たちの姿があること。民主教育の息吹をきちんと捉えて描いた作品だからでしょう。(被爆者の声をうけつぐ映画祭2008より)
映画『千羽鶴』
監督:木村荘十二 脚本:諸井条次
音楽劇 『A Thousand Cranes 禎子と千羽鶴』
原作:キャサリン S ミラー 翻訳、脚本、演出:登坂倫子
日時:2009年8月15日
開場13:00 開演13:30
場所:杉並区区立産業商工会館 3階 講堂
杉並区阿佐ヶ谷南3-2-19
TEL:03-3393-1501
主催:杉並区光友会(杉並原爆被爆者の会)
共催:杉並区
後援:杉並教育委員会 杉並区障害者団体連合会
お問い合わせ:杉並光友会 杉並区善福寺2-11-26 籾蔵宅
TEL:03-3390-8556
2009年7月17日金曜日
二重被爆
『大広島炎え轟きし朝明けて川流れ来る人間筏』
『黒き雨また降るなかれにんげんがしあわせ祈るための蒼穹(あおぞら)』
山口雀陵(じゃくりょう)
この短歌の歌人、山口雀陵さんこと山口彊(つとむ)さんが「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」(朝日文庫)を出版された。「生かされている命」(講談社)の文庫化です。
朝日新聞記事
私が山口さんの存在を知ったのは2006年の夏のこと。国連とコロンビア大学でドキュメンタリー映画『二重被爆』を上映すると日系新聞で知った事がきっかけでした。残念ながら2度の上映には参加できませんでしたが、二重被爆ということを知って調べるようになりました。
二重被爆者とは、ヒロシマとナガサキで被爆した人たちのことです。山口さんは今年2009年3月24日、「二重被爆者」として被爆手帳に長崎市の記載が付け加えられました。国が認めた二重被爆者として初めての人となりました。
90歳を過ぎて初めてパスポートを申請してニューヨークを訪問した山口さんは今、93歳。ニューヨークの国連での上映後にこう話されたそうです。
【日本のことわざでは『二度あることは三度ある』と言います。しかし、絶対に三度目の被爆があってはならない。私は90歳です。いつまで生きられるかわかりませんが、みなさんにどうぞお願いがあります。核兵器をなくすために、みなさんの力を貸してください。戦争になれば、勝ったほうも負けたほうも必ず犠牲者が出る。そして生き残った家族を悲しませることになります。『All for one, one for all.(みながひとりのために、ひとりがみなのために)』、このモットーでみなさんにご協力していただきたい。必ず大きな力となって、戦争を回避することができると思います】(『生かされている命』より)
山口さんの思いを私たちがしっかり受け継いでいかねばなりません。
2009年7月12日日曜日
カミングアウト 2人の非核への思い
ファッションデザイナーの三宅一生さんがオバマ大統領の言葉を受け、自身も7歳の時に広島で被爆していたことをNYタイムスに記事投稿し、オバマ大統領の広島・長崎訪問を訴えました。
今年4月にプラハでの演説で、オバマ大統領は国際的な核軍縮や核不拡散の制度強化を主導する考えを提唱、具体的には(1)核軍縮(2)核不拡散体制の強化(3)核テロ防止を柱として挙げました。
そして、今月6日、就任後初めてロシアを訪問し、モスクワでメドベージェフ大統領と会談、今年12月に期限切れとなる第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約で、核弾頭の上限を1675~1500発、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの運搬手段も1100~500まで削減することで合意し、年内の締結を目指す方針を確認しました。
【朝日新聞】米ロ首脳、核弾頭を1675~1500発に削減で合意
YES WE CAN!
この言葉のパワーは本当にすごいですね。
オバマ大統領の広島・長崎訪問が実現することを願います。
2009年6月29日月曜日
電車にあと一歩で乗り遅れてしまった時、コンビニで299円と言われてお財布の中に298円しか小銭が無くて1万円札をくずさなくてはいけない時とか、日常の中には「ちょっとガッカリ」することがあります。
でも本当に心からガッカリするのは、人に裏切られた時ではないでしょうか?
===
【核持ち込み密約:政府に説明責任 村田元次官「冷戦終結、時代違う」】
1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、元外務事務次官の村田良平氏(79)が前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたと毎日新聞に証言した。日米安保体制の構築にまつわる秘密交渉プロセスは、米公文書や日米の交渉当事者による証言でも明らかにされてきているが、事務次官経験者が「密約」の存在を初めて実名で認めた意味は極めて重い。唯一の被爆国として核廃絶の旗振り役になる一方で、密約を否定し続ける日本政府には明確な説明責任が求められる。【中澤雄大、犬飼直幸】
「(外務省を)辞めてもう十数年たち、冷戦も終わって時代が全く違う。だから、もういいだろうと判断した」。村田氏は証言した理由を語った。昨年出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房刊)でも、寄港などの事前協議は必要ないとする日米間の「秘密の了解」があったと明らかにしている。
60年の日米安保条約改定では、核兵器の日本への持ち込みは事前協議対象とされたが、核兵器を搭載した米艦船の寄港・通過は事前協議の対象としないと秘密合意していた。しかし、63年3月、池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は日本に寄港してもらわない」と国会答弁。密約との矛盾を懸念したライシャワー駐日米大使が大平正芳外相(同)との間で、寄港密約を再確認した。村田氏の証言は、こうした密約を改めて裏付けるものだ。
核密約について、河村建夫官房長官は29日の会見で「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」と重ねて否定した。こうした政府の姿勢に対し、村田氏は「明らかにうそ」と断言。著書の中でも「(非核三原則のうち)持ち込ませないとの原則は、直ちに廃止すべきだ。国民を欺いているものだからだ」と強調している。
日米密約問題を研究する信夫(しのぶ)隆司・日大教授(日米関係史)は「(村田氏は)政治状況が変わりつつあり、密約を隠し通す意味がなくなったと思っているのではないか」と指摘した。
◇「日本のウソ、明らか」--村田氏の一問一答
--事務次官になる前から密約の存在は知っていましたか。
密約があるらしいということはいろんな意味で耳に入っていましたけど。密約に関する日本側の紙を見たのは事務次官になった時が初めてです。
--その時に初めて確認をされたということですか。
まあ、確認もへったくれもない、ああそうだろうと思っただけです。ライシャワー(元駐日米大使)だったかな。「ずいぶん前にそういう約束がある」と言ったことが、アメリカの外交文書として公開された。日本の新聞が少し騒ぎましたよ。「ライシャワーがこんなことを言ってる」と。そうしたら政府は必死になって「いや、そんな密約はない。ない」と言った。アメリカが外交文書を公開して「密約があった」と言ってるのにね、日本は「そういう密約はない」と言ってる。どっちかが言ってることがウソなんです。どちらがウソかといえば、日本がウソをついていることは明らかですよ。
--密約についての引き継ぎの紙はどういう紙か覚えていますか?
外務省で普通に使う事務用の紙ですよ。
--取り扱い注意とか機密とかの印はなかったんですか。
ありません。
--紙一枚なんですか。
外務省で使う紙に書いて、封筒に入っていて、前任者(柳谷謙介氏)から私は渡された。「この内容は大臣に説明してくれよ」と言われて、それは(第3次中曽根内閣の)倉成(正・外相)さんと(竹下内閣の)宇野(宗佑)外務大臣には話しました。
--紙に書いてある文言はどのような文言かご記憶は。
正確には覚えていません。まあおおよその内容はもちろん覚えていますけどね、「てにをは」までは覚えていません。
--おおよその内容としてはどのような。
(「核を搭載した米艦船の寄港及び領海通過には事前協議は必要ではない」と)本に書いたようなことです。
--米国の外交文書の公開があって、日本が否定しましたが、その反応についてはどうみていたんですか。
なんでそんなウソを言い続けるのかなとぶぜんたる気持ちになりましたね。どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ。
--密約引き継ぎの時は「きちんと説明してくれ」の一言だけだったのですか。
はい。
--後任の次官(栗山尚一氏)に同じように引き継がれた?
そうです。
--外務省にいた立場として「密約」を理解できる部分はないのですか。
ありません。非核三原則なんてものを佐藤(栄作)内閣の時に出したでしょう。そんなこと自体が私に言わせれば、ナンセンスだと思ってまして。当時。個人的な見解ですけど。
--三原則を打ち出すこと自体が問題か?
3番目の核を持ち込ませないという話がね。持たない、作らない。これらはいいですよ。しかし、核兵器をたまたま積んでいるアメリカの船が日本の横須賀に立ち寄って燃料を補給して、またベトナムに行くとかいう場合、そんなものは「持ち込み」には入らないですよ。(核搭載艦船の)寄港も領海通過も全部「持ち込み」と言ったこと自体がナンセンスです。(ただ当時は)冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば機密もあっての話ですからね、とがめだてする話でもない。だから黙っていただけですよ。【聞き手・朝日弘行】
2009年6月27日土曜日
NO MORE HIBAKUSHA
ヒバクシャとは?
ヒバクシャには被爆者と被曝者がいます。
【一般的に「被爆」は核爆弾による被害を受ける事を指し、英語でも「Hibaku」は同じ意味で使われる。よく似た言葉に「被曝」があるが、こちらは放射能(放射線)にさらされた場合を指す(詳しくは『被曝』の項目を参照のこと)。厳密にいえば、核爆弾による直接攻撃を受けた者は「被爆者」、直接の被害は受けず、核爆発に伴う残留放射能を浴びた物は「被曝者」である。】(Wikipediaより)
英語のHibakushaは、「被爆」も「被曝」も同じ。
『ノー・モア・ヒバクシャ』というNHKのサイトが立ち上がったそうです。
是非、覗いてみてください。
2009年6月26日金曜日
もしも、東京に・・・
今年の4月に東京大空襲・戦災資料センターへ訪問してきたのですが、もしこの新聞記事のようなことが起きていたら・・・。
東京もヒロシマやナガサキのように「トーキョー」とカタカナに記載されていたかもしれません。
===
東京を化学兵器で空襲…英軍、第2次大戦で検討
【ロンドン=鶴原徹也】第2次大戦中、英軍の化学兵器開発部門で東京を化学兵器で空襲する作戦案が検討されていたことが25日、英公文書館の公表した機密文書で明らかになった。
米軍に対して、東京毒ガス攻撃を非公式に提言した可能性もある。
文書は、英軍需省(当時)化学兵器委員会分科会座長会議の備忘録。1944年5月25日、同26日の二つの押印があり、「ゴルドニ少将は米国での討議の報告で、東京への化学兵器攻撃の効果評価を試みるよう提言した」と記されている。
備忘録には、英専門家による「東京化学兵器攻撃」と題する44年5月8日付文書が添付されており、ここでは「東京の夏は高温多湿でマスタードガス使用に好条件。降雨時を避けて投下すれば最大の脅威となる」と指摘。
また、「神田、日本橋、京橋、本所、深川」など「人口密集地」は「木造の伝統的家屋が多く、可燃性が高い」と言及。空襲は「ホスゲンガス、マスタードガス、焼夷(しょうい)弾」の三つの選択肢があり、「ホスゲンガス使用の場合はかなりの死傷者を出す。マスタードガス使用の場合は密集地から人々を追い払い、数日後に焼夷弾を使用できよう」などとしている。
(2009年6月26日14時33分 読売新聞)
2009年6月25日木曜日
原爆症認定の新基準
賛否両論あるようですが、戦後64年の今、原爆症認定基準の拡大が決まりました。
長い時間をかけて闘ってこられた方々がいらっしゃるからこそ、このような運びになったと思います。最近、読んだあるブログに原子力のことが書いてありました。
原発や六ヶ所村の座り込みに行こう!という勧誘を受けるという方が、ふと、座り込みに行くのは電車?自動車?自転車?それとも歩き?と問うのです。徒歩以外は全て原子力が関わっている交通手段だと言い、原子力はどんなに反対しようとも私たちの生活に浸透しているのだと。もちろん、広島や長崎は繰り返してはいけないと書いてはありましたが、チェルノブイリの話が出て来ます。
チェルノブイリの立ち入り禁止区域にはまだ数十人の住民が住んでいて、原爆症になっていてもよいはずなのにまだ発病していないそうなのです。それはなぜか?取材した記者がこう残したそうです。「彼らはこの土地に住んでいる事をとても感謝していた。」 そしてブログは、人間は自分たちが思っているほど弱い存在ではないようですね、と括っていました。
この筆者には、広島、長崎へ行き、自分の目で見て欲しいと思いました。そして原爆症認定の裁判に目を、耳を傾けてもらいたいと願います。
◇原爆症認定の新基準
08年4月、被爆者の救済拡大と迅速化を目的に基準が緩和された。(1)爆心地から3・5キロ以内で被爆(2)投下から100時間以内に2キロ以内に立ち入り(3)100時間経過後~2週間、2キロ以内に1週間程度以上滞在--の該当者で、がんなど悪性腫瘍(しゅよう)、白血病、副甲状腺機能亢進(こうしん)症、白内障、心筋梗塞(こうそく)の5疾病は原則として認定。これらに該当しなくても、個別の事情を考慮して認定されることもあり、月約14万円の医療特別手当が支給される。
2009年6月14日日曜日
オバマジョリティと被爆3世の11歳の女の子
先月、5月のことになりますが、国連で核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会が行われ、平和市長会議(Mayors for Peace)の代表として、秋葉広島市長と長崎田上市長が参加の為にNYに訪問しました。
秋葉市長は演説で「オバマジョリティ」というオバマ大統領とマジョリティ(多数派)という造語を用いて、4月のオバマ大統領のプラハ演説を讃えると共に、2020年までに核全廃を達成するというヒロシマ・ナガサキの目標の実現を求めました。
市長たちと同時に広島・長崎からも被爆者たちがNY入りし証言しましたが、その中に被爆3世の11歳の少女がいました。
その少女の証言をSGIにて聞く事が出来ました。おばあさんと一緒に証言活動を始めたという彼女は8歳の時、原因不明の腹痛に襲われ2週間ほど入院したそうです。彼女のお母さんは彼女が生まれる前に血小板が減る難病を患ったと言い、自分が今この世にいることに感謝していると話した。
知人が幾つかの高校で証言活動があり、その通訳として参加したのですが、自分たちとはほぼ同世代のこの少女の話には衝撃を受けていたとの事。知人は、被爆者たちが高齢化となっている今、これからは被爆者2世、3世が証言活動をしていく時代だと強く主張していました。
その証言から1ヶ月、広島では核兵器廃絶の「オバマジョリティー・キャンペーン」が始まるようです。
2009年3月16日月曜日
無事、成功に終わった『アトミック・フィールド』
ステージ・リーディング『アトミック・フィールド』、無事終了!とても好評でした。
物語は80年代のある南部の普通の家庭が舞台。肺ガンと診断された夫であり父親は原爆投下6週間後のナガサキへ入った元米兵、その後も約9年半海兵隊に所属。その間、核実験に参加していたことがあり、彼のガンはそれが原因ではないかと家族は驚きを隠せない。父親の秘密が明らかになると共にありふれた普通の家族に変化が起きていく・・・。
初めてこの台本を読んだ時に改めてアトミック・ソルジャーと呼ばれる人たちのことを知り、またヒロシマやナガサキだけでなく、米国にもヒバクシャがいて苦しんでいるということを知るきっかけとなりました。
リーディングは英語で行いましたが日本人の観客も多く参加しれくれました。
参加者の感想をいくつかご紹介します。
新たなアメリカ側からの被爆者の話を知れて大変勉強になりました。(匿名)
これは実話を元にしているのですか?もしそうなら、アメリカ人にも被爆者がいたなんて知らなかったので、とても興味深いです。とてもよく書けた台本だと思いました。俳優さんたちとても上手でした。(匿名)
戦争は誰も幸せにはしない。両者にはそれぞれの痛みがあることなど今日色々学ぶ事ができました。ありがとうございます。(女性:30代)
とても良いお話でした。もっと多くの人に見てもらいたいです。(匿名)
A very moving play. (匿名)
Very moving. Good acting. (匿名)
A good play. Made me think more. Good delivery overall, too. (匿名)
劇中にも触れられていたのが、軍に携った人たちが口外しないことを宣誓させられたということ。このようなヒバクシャたちは、ヒロシマやナガサキの人々のように声を上げて叫ぶ事が出来ずに苦しみ、また病んでいるのではないだろうか?その実態とは?!
勉強する課題の多いテーマの作品でした。
イベントに来てくださる方たちは必ず「これからも頑張って下さい」と励ましの言葉をかけて下さいます。継続する事に意義があり、また続ける事で人は私たちの真剣さを理解してくれるのかもしれないと思えました。
こうして、また小さな種を蒔きました。
2009年3月12日木曜日
伊藤明彦さんの軌跡
とても残念なお知らせが届きました。
『被爆者の声 HP管理人です。 こんにちは。
伊藤明彦さんが、3月3日 午後8時34分、お亡くなりになりました。』
伊藤さんは40年間にわたり全国の被爆者を訪ね取材を続けて被爆者の肉声を収録し、テープやCDに収めて施設や図書館に寄付をしていました。最近はボランティアの協力を得て、録音した肉声を文字に起こし、それをHPにて配信。その功績は昨年、吉川英治文化賞受賞して讃えられています。
『被爆者の声』のHPに出会った私は管理者の了解を得て、昨年10月に行った『Love&Peace:朗読と語り部の会』の中で被爆者の声を朗読という形で伝えましたた。最近の伊藤さんはビデオで被爆者を記録、世界に向けて聞いて欲しいという強い願いから、英語の話せる被爆者を取材していた聞きます。私の父代わりのような被爆者の方もその1人だということも伊藤さんの訃報を聞いて知りました。
私の心が震えるのは、伊藤さんが1970年に長崎放送を退社して自身の人生を被爆者たちの記録に捧げた事。記者という肩書きが無い中、自費で被爆者の取材を続け、その記録を図書館などに寄付するという行為は並大抵のことではありません。資金は昼間日雇いの仕事をして作り、夜に録音機を持って被爆者たちを訪問したのだそうです。
こんな人がこの世の中にいるなんて・・・。
私に出来る事はここニューヨークに住んでいる事を利用すること。伊藤さんの意志を継いで、収録されたビデオをいつか流したいと思います。
伊藤さんは8歳の時に長崎で被爆されていますが、こうやってまた一人、生き証人がこの世を去りました。被爆者の高齢化により、生の声を聞けるチャンスはだんだん少なくなっていきます。
機会があれば是非彼らの話に耳を傾けて欲しい。そして知って欲しい。
63年前の戦争がまだ続いている人たちがいるということを。
伊藤さんのご冥福を心からお祈りいたします。
被爆者の声HP
http://www.geocities.jp/s20hibaku/
伊藤さんの訃報と業績を伝える長崎放送
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/houdou/index.php?itemid=7034
2009年2月27日金曜日
Stage Reading "ATOMIC FIELD"
今年第一回目の活動はステージ・リーディングと決まりました。
アメリカの普通の家族が夫・父親が肺ガンになり、そこから彼の過去を家族が知り・・・。
この作品はアメリカ側からみた原爆投下、核実験の爪痕が描かれています。
苦しんでいる人はアメリカにもいる。
劇作家は現役大学教授。自身の家族をモデルに描いたという。
既に日本語訳の劇が東京で上演されているとのこと。
皆様のお越しをお待ちしています。
=====
New York Peace Film Festival in conjunction with Interborough Repertory Theater
presents
a reading of ATOMIC FIELD
a play by Kenneth Robbins
In 1985 as Howie Long dies of lung cancer, it is discovered by his family that
not only had he been stationed in Nagasaki after the atomic bombing but he was
also part of the nuclear testing program following the end of WWII.
Directed by Jonathan Fluck
with
Robert Grant, Kate Haggerty*, Mami Kimura, Cynthia Shaw
Cash Tilton, Sarah M. Wilson*, Ryosuke Yamada
*Actors Appear Courtesy of Actors Equity Association
Interborough Repertory Theater
154 Christopher Street, #3B, New York, NY 10014
Sat. March, 14, 2009 at 7:00PM (doors open at 6:45pm)
Reception starts immediately after the reading
FREE and open to the public: Seeting is limited
Reservations: nypeacefilmfestival@gmail.com / 212-592-3311(Hotline)
アメリカの普通の家族が夫・父親が肺ガンになり、そこから彼の過去を家族が知り・・・。
この作品はアメリカ側からみた原爆投下、核実験の爪痕が描かれています。
苦しんでいる人はアメリカにもいる。
劇作家は現役大学教授。自身の家族をモデルに描いたという。
既に日本語訳の劇が東京で上演されているとのこと。
皆様のお越しをお待ちしています。
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New York Peace Film Festival in conjunction with Interborough Repertory Theater
presents
a reading of ATOMIC FIELD
a play by Kenneth Robbins
In 1985 as Howie Long dies of lung cancer, it is discovered by his family that
not only had he been stationed in Nagasaki after the atomic bombing but he was
also part of the nuclear testing program following the end of WWII.
Directed by Jonathan Fluck
with
Robert Grant, Kate Haggerty*, Mami Kimura, Cynthia Shaw
Cash Tilton, Sarah M. Wilson*, Ryosuke Yamada
*Actors Appear Courtesy of Actors Equity Association
Interborough Repertory Theater
154 Christopher Street, #3B, New York, NY 10014
Sat. March, 14, 2009 at 7:00PM (doors open at 6:45pm)
Reception starts immediately after the reading
FREE and open to the public: Seeting is limited
Reservations: nypeacefilmfestival@gmail.com / 212-592-3311(Hotline)
2009年1月12日月曜日
2009年おめでとうございます
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