2009年7月27日月曜日

Peace Porter Project



保田麻友さんは大学生時代から生まれ育った広島で、灯篭流しのボランティアを行っています。ご本人の了解を得ましたので、今年の活動の様子を彼女のブログ日記より転写します。

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今年はあいにくの雨の中、Peace Porter Projectの活動が無事終了致しました。

■Peace Porter Projectとは・・・

8月6日に元安川で行われているとうろう流しの附属団体で、被爆者の高齢化により流しに行きたくても流せない方のもとへボランティアスタッフが訪問し、とうろうをお預かりし当日に代わりに流す活動内容です。

とうろうを書いていただく際に、被爆体験などを聞かせていただくことも活動の1つです。



今年はまた大阪から来てくれた学生さんや、初参加で小さなお子さまを連れてきてくれた若いママや色々…参加していただいた方や残念ながら参加できなかった皆さんに、御礼申し上げます。

今年も午前、午後の2施設で江波と舟入の施設を訪問しました。

ボランティアスタッフの皆さんの積極的な活動に安心してお任せできたので、私自身も1人の方の被爆体験を聞かせていただくことが出来ました。

当時、ヒロシマの市内中心部で電話通信局のお仕事をされていたそうで、わずかお隣にいたお友達は顎から首にかけて大火傷を負いましたが、その方は何とも無事で特に怪我などはなかったみたいでした。その例は初めて聞いたので私もとても驚きました。

ご家族(叔父)も宇品に住んでいて特に酷い被害が無かったそうで、町から宇品まで歩いて帰り、高台から見渡すとポツリポツリと建物が残って見えたそうです。他にも朝鮮に行っていた弟さんの話などを聞かせていただきました。

途切れ途切れの記憶で申し訳ないと言われていましたが、私たちからしてみれば途切れ途切れでも当時を知る貴重な時間、
改めてこの活動の意義を確かめられました。

原爆投下後、岩国からヒロシマまで歩いて帰ってきたご家族を亡くされた方のお話など午後からの方にも少しだけお話を聞くことが出来ました。

皆が印象強かったという方の「自分だけが生き残ってごめんなさい」と繰り返す言葉は私も涙が出そうでした。深くお話を聞くことは躊躇してしまいましたが、その方の灯篭には当時の学校の皆に宛てた文章で『自分だけが集合を守らず生き残ってごめんなさい』ということを書かれていました。

後悔もあるからこそ供養するのではないかと、当時のことが分からない私ですがそう考えます。だから今年そういった灯篭を流すことのお手伝いをさせていただけて良かったのかもしれません。




体験談はまとめることが難しいほどの僅かな時間でのわずかな内容です。でもこの活動に参加してくださったスタッフの方がその時に感じた何かを自分なりの方法で後世に伝えていっていただければ、と思いました。

皆さんにもボランティア活動の最後に灯篭を書いてもらいましたが、その時の皆さんの真剣な表情はきっとこの活動を通して何かを感じていただけたのではないかと勝手ながらそう感じられて今年も嬉しく思いました。

今年はゆっくりと皆さんに今までとこれからのこの団体の想いを伝えさえていただけて良かったです。

本当にありがとうございました。

8月6日にまた数名の方とお会いできることを楽しみにしています。

www.hiroshima86.com