2008年10月28日火曜日

ヒバクシャ、NY国連証言の旅

現在、ピースボート企画『ヒバクシャ地球一周 証言の航海』という広島・長崎の原爆被爆者102人が20カ国22寄港地で証言し、核兵器の廃絶を訴えるプロジェクトに参加中の男女2名、計4人が国連でのNGO公式発言の為にニューヨーク訪問中。

10月27日(月)にその証言を終えたのですが、その前日と翌日に通訳兼お世話係としてご一緒させて頂いたのでそのレポートをご報告します。

一行は10月22日(水)にニューヨーク到着。約10日間の滞在スケジュールはぎっしり。代表証言者はブラジル在住広島被爆者、ぶらじる被爆者平和協会会長森田隆さん(84)、カナダ・トロント在住広島被爆者節子サーローさん(76)、長崎被爆者中村キクヨさん(84)、吉田勲さん(68)。

被爆二世の息子を亡くした悲しみを乗り越え証言活動を続けて来た人、海外在住者にも日本国内の被爆者と同様の法律適用を受けるべく裁判を続けてきた人など各人の軌跡は様々だが思いは皆同じ、ただひとつ。

2度と原爆が使用されないよう核兵器廃絶と戦争のない平和な世の中となる願い。

多忙スケジュールの中、26日(日)は終日フリーとなりMoMA(近代美術館)を訪れ、晴れた秋のニューヨークの午後のひと時を楽しみ、ランチは本場長崎の味にも引けを取らないという長崎ちゃんぽんを堪能。ロックフェラーセンターでスケートする観光客をカメラに収め、聖パトリック教会にも足を運びました。



27日(月)は国連にて平和市長会議が主催、国連本部内でのヒロシマ・ナガサキ写真展の開会式に参加、証言をされました。

本日、28日(火)はNY公立高校を訪問、生徒約60人の前で1時間半の授業を行いました。平和教育家キャサリーン・サリバン女史の簡単な講義の後、3つのグループに分かれて体験談を話し、その後で質疑応答を行いました。

被爆者の声に熱心に耳を傾け、時に顔をしかめて悲しそうな表情を浮かべていた女子生徒の姿が多く見受けられました。証言を終えた被爆者は何度も『戦争が起こればここにいるあなた方の中から亡くなる人が出るでしょう。私みたいな経験をするかもしれません。だから戦争をしない平和な世の中をになるようにしなくてならないんです。』と語られていました。

中村キクヨさん(84)は21歳の時に被爆、敵機が飛んでるから防空壕へ避難しましたが解除されたので家に戻りました。生後1歳1ヶ月の息子が居て、その子のおしめを洗っていた時、爆風に吹き飛ばされ膝を強く打ちました。芋をすりおろして塗り薬としました。爆心地から山ひとつ越えたところに住んでいたために直接被爆は免れましたが家族、親戚は皆、亡くなり、多くの人がやけどをおいながら逃げてきました。水をあげてはいけない、と言われていたので手ぬぐいを絞って水をたらしてあげていたそうです。そして2年後次男が生まれました。被爆二世の息子さんが5年前、55歳の時に白血病で亡くなりました。母体が被爆していたのが理由でした。その悲しみを乗り越え証言活動に励んでいます。

『私もあまり長くないでしょうけど、そしたら息子に会えます。でも息子が「お母さん、長生きして、証言活動を続けて頑張って」って言っている気がします。』と今後の証言活動に意欲を見せていました。

証言後の質疑応答の中で生徒達からはこんな感想が発言されました。

『考えるととっても怖いわ。もし同じ事が起こったら真っ先に家族や友達のことを心配すると思う。』
『なぜこんな愚かな事を人間がするのかわからない。』

生徒さんたちにも少なからずインパクトを与えた貴重な時間となったようです。


被爆者と高校の先生たち

通訳を引き受けながら、証言を聞いているうちに私自身の目頭が熱くなる思いが何度も込み上げました。私にとっても貴重な体験となりました。

被爆者の思いを引き継ぐべく、私も努めて行きたいと思います。